重要なのは、武器ではなく、その使い方…戦術なのです。
腕には腕の、剣には剣の戦い方があります。
本物のサムライとは、要するに目にうつる全ての物を武器にして戦う者ですよ。
千の戦場で、千の戦い方で千の勝利を収める。
それがサムライであり、あなた方が最終的に目指す存在です。
千の戦いを覚えなさい。
私の授業は、腕には腕の、銃には銃の戦い方を教えること。
よく覚えなさい。これを戦術と呼びます。
強いのは、能力があるとか、性能がいいとかではありません。
一人の意思を持った人間が、明確な目標の下で戦術を駆使することが強いのです。
その気になれば、指一本、鉛筆一本でも幻獣は殺せます。
私が育てるのは、その強い人間です。
明確な目標…命令の下で、戦術を駆使するサムライを育てるのです。
このゲームは高性能を追求する途中で人間工学的配慮を完全に切りました。
ゲームが人間様にあわせるのではなくて、人間がゲームに適応する、これはそういうゲームです。
その代わりに、機械的性能ではこのゲームでは最高最良を保障します。
人間工学的配慮を削って浮いた予算は全部性能向上にまわしました。単純予算比ではここまで極端なシフトをひいた例はないと思います。
本物のゲームというものは、プレイヤーがゲームを征服して、ついには人機一体となって限界に挑戦するものです。
私は、現状ゲームのもつ限界=レコードを全部絢爛とその使い手で書きかえるために、ジャジャ馬をつくりました。このゲームを扱えるということがプレイヤーの名誉であり、作り手の名誉であることを祈願してそう設計しています。
もちろんこれは、初心者や女性を切り捨てているわけではありません。
単に要求しているだけです。使いこなせと。
初心者だろうが女性だろうが人間でゲーマーなら後はセンスと努力の問題であると考えています。
なに、そんなに難しいことではありません。心にイメージをかき抱き、工夫し続ければいいだけの話です。
例えばこのゲームではニュース機能があって日々シミュレーションで起きたことがプレイヤーに配信されますが、こういうのって、政治家やヤガミともっともらしく話すにはつかっても、サーラちゃんと仲良くするには使い道がありません。
使い道がないものは使うな。(でなければ溺れる) それがこのゲームの基本の一つです。
——願わくは、ゲームを終えた後に、その力を天下万民のために使ってくださいますよう。