2-3.補償の必要性について(第3節関係)
(1) の◯1。作り手がサクヒンの対価を任意(おひねり、投げ銭)と考えるケースでは、私的録音録画は自由な方が収益が大きい可能性。
(1) の◯2。技術的に誰もが安価に配信・放送(もしかしたら販売も)を行う事ができる場合、権利者の許諾によりディストリービューション回路を制限する事業 は、作り手の収益機会に制限を加える(ただし既存の事業や作り手は縮退を強いられる可能性が高い)。(2)著作権保護技術は必ず破られる。全ての受け手に前払いで一定額の対価を求めるなら、そもそもデータを受け手に渡すべきでない。対価+個人情報 で、いつでもどこでも使える「視聴取権」が確保できるなら、私的録音録画の必要性は激減する。
所感:
権利者が私的録音録画に制限を求めないケースが出て来ている。まだ定着した販売手法とは言い難いが、誰もがコ ピー手段を自力調達できるなら「ダイレクトな投げ銭」「お代は見てのお帰り制度」のほうがクリエイタの実入りが増える可能性がある。一律な補償金制度は、 こうした試みにとって足枷となる。
それで喰えるのは一部だけだろうし収益が減る人もあるだろうが、もともと著作物、というか芸事の基本は「末路哀れは覚悟の前」だ。販売・配信・放 送メジャーが力点を置かないサクヒン群にとっては「誰もがコピー・配信できる技術」はむしろチャンスではないか。例えば能・狂言・歌舞伎・落語などの「実 演芸」や、アニメなど愛好家の少ないマイナージャンルなど。
実績から言えば大きな成功例は見当たらないし、原著作者の意思を無視した不当なコピー・配信も許すべきではないが、現行のビジネス構造を前提に法 や制度を弄るのは、可能な限り避けるべき節目だと思う。