今回は15年ぶりだが元々クーデターの多い国ではあるらしい。以下、
wikipedia:タイ王国とか朝日新聞からでっちあげ。
thaiは「自由」を意味し、東南アジアで唯一、植民地支配から独立を守った事に由来する。
明治維新と同時期、タイは国王を中心に様々な改革(
チャクリー改革(奴隷解放・教育・軍事改革・インフラ整備))を推進。1932年に立憲君主制へ移行。第二次大戦中は枢軸側に立つが最終的には戦勝国の地位を獲得した外交巧者。
プミポン国王(1946)後の立憲君主政体は名目上であり、
短期間の点々とした民主主義以外は一連の軍政に動かされた。1992年の民主選挙以降、政府が憲法上の手続きを踏んで機能する民主主義国家となった。なお、軍事クーデターは首謀者がプミポン国王の前に膝をついて収束するのが"ならわし"となっている。
立憲君主制のもと、平時は国王は象徴的な存在で、政治過程においては東南アジアで最も民主主義が成熟しているが、
危機にあたっては国王の介入が見られる。危機における政治への影響力は極めて大きい。また、王室に対する不敬罪も存在する。しかし、実際に「不敬罪」として立件されても王が「寛大なお心」で許すというのがほぼ慣例化している。
伝統的に王室メンバーへの敬意が非常に高く、国王や王妃の誕生日には、国中が誕生日を祝うお祭り状態となる他、国中に肖像が飾られる。
◆でっちあげここまで◆
"軍事クーデター"というとなにやら「民主主義」にさからう悪い事、な印象を受けるが、デモクラシーは制度(クラシー)であって主義(イズム)では無い。メリットもデメリットもあるタダの道具に過ぎない。差し引きが無視できない段階になった時、
どうやって調整するのか、が最大の問題だろう。
※x264が遅すぎるならsubqとframeref弄れば良いんだけどね。オレが。 タイの軍事クーデターは、彼らオリジナルの調整機構なんでねぇか、という印象を受けた。
asahi.com -- 「タイクーデター」写真特集から。
- バンコクで19日、検問所を設ける兵士らを見物し、カメラにおさめる市民たち=AP
- 警戒を続ける戦車のそばで遊ぶ子どもたち=20日午後0時50分、タイ・バンコクで
- 国王に忠誠を誓うことをアピールするため、黄色の服を着た人もいた=20日午後0時45分、タイ・バンコクで
- 黄色いリボンを身につけ、国王への支持を意思表示する兵士ら=AP
- 首相府前で警備にタイ兵士。戦車には支持者からの花がつけられている=AP
- 戦車の上のタイ軍人に花を渡す市民=AP
仮に、大企業やお金持ちが政府・国会を牛耳っていたとする。
仮に、一般庶民の多くはそれに不満だったとする。
仮に、一般兵士の多くは一般庶民出身だったとする。
ならば、写真1,は「やぁ、やっと始まったね」に見えるし、4, 5, にも納得がいく。てゆうか6, なんか「
直訴」じゃないのかこれわ。2,3,に至っては、、、慣れてますなみなさん^^;
◆◇◆
wikipedia:タイ王国軍
タイ王国軍隊の総帥すなわち(名目上の)最高責任者として国王があり、その下に首相が置かれ国防省が置かれている。なお国防大臣は2004年現在文民のみがなることが出来る(ただし、退役軍人は文民と見なされている)。
タイの国王は、
- (名目上の)"統帥権"を持っている。
- "統治者の義務とは万民の利益のため統治することであり、限られた小数のためではない"という理念も持っている。
そして万民の利益の為に、その権威を以て、政治に介入する。という事だろうか。
ちなみに2.は1932年の立憲君主制移行を実施したラーマ7世の言葉で、どうやら民主化を大義名分にした一部勢力への抗議らしい。彼の退位宣言は70年代の民主化運動でも引用されている。民主"主義"だから正しい、"軍事"政権だから悪い、というラベリングにはタイ人は乗らないのだろう。どちらであれ、"限られた小数のために権力を使う統治者"はこの批判にさらされるわけだ。
そして彼らの王朝はその理念をチャクリー改革以来の連綿と続く実績の数々で示している。
超法規的・超政治制度的な「正義のミカタ」として定着しているのだろう。
羨ましい気がしない事もない。
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