良書を見分
けるには乱読が必須。
名画を見分けるには足を使っていくつも見る時期が必須。
その結果として脳内に形成されるものは、
過去の作品・論評と比較して優劣をつけるためのデータベース
これを
教養と呼ぶ。
教養は一つではない。
いかなる分野にも歴史があり多くの作品があり、それぞれの教養が存在する。
教養には終わりがない。
いかなる分野にも未来があり多くの作品が生まれ、果てる事が無い。
より多く教養を持てば、より多くの場面で、より正しい判断を持つ事ができる。
より深い教養を持てば、より多くの場面で、より正しい判断を持つ事ができる。
これを
良識と呼ぶ。
本の善し悪しを言うには本の教養が必須なように、
映画の善し悪しを言うには映画の教養が必須なように、
ゲームの善し悪しを言うには
ゲームの教養が必須である。
十把一絡げにゲームを難じる者を
ゲームの無教養者と
呼ぶ。どんな分野であれ、
良
識を育んでいればそんな事はしないだろう。
非難されるものは幸いだ。
自分について深く考える機会を持つ事ができるから。
多くの人は常識を疑わないし、深く考える事もない。
経験に基づき、自分で考え、自分で決め、自分の言葉で語れる者は多くはない。
もしも
ゲームの無教養者が慎みを忘れ、ゲーム脳・脳内汚染をなんとなく常識としてゆくなら、
あなたには戦う権利がある。
あなたは既にゲームで培った
教養と
良識を
お持ちのはずだ。それこそが武器である。
ゲームの教養者よ。生めよ殖えよ地に満てよ。そしてこれを従わしめよ。神、それを欲したも
う。
、、、こんなんだけどな?。

『ゲームは一日一時間!』
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