iPodのシェアは米国で80%。日本で50%だそうな。Macのシェアもぐんぐん伸びているし、iPhoneも大人気のようだ。
しかし、今のAppleがなんの会社なのか?というと適当なコトバが無い。
とりあえず「iPodの会社」でも良さそうだが、Win上ですらiPodだけというわけではない。iTunesやらiTSやらがずるずると繋がっている。「家電」ではイメージ的にOS XやiTunesのようなソフトが余るし「ソフト」と言うとハードのインパクトが曖昧になる。Apple自身が社名からComputerを外した以上は「パソコン」とは言えないし「総合ネット企業」では「道路を使う会社」並に意味が無い。
しかしどれもAppleの一側面ではある。これらがもたらす利便性を、見事にマッシュアップしている会社なのは確かだ。消滅の淵まで行ったAppleの復活はミモノだが、ここまで来るとかつてMicrosoftやIBMに向けた警戒の目を向けなければダブスタだろう。
Apple社は、10年以上にわたる超長期ビジョンに基づき、図のような"事業構造のトランスフォーメーション"を実行しているものと思われる。
最終的に目指すのは『コンテンツ流通の垂直統合』。
レッドラインは既存ハードウェアからの顧客奪取。ピンクラインは既存のコンテンツ流通からの顧客奪取。
基本戦略は既に市場に流通しているコンテンツをなんらかの形でブルーラインのどこかに取り込み、ユーザーの支持を取り付けた上で、iTunes Storeでの購買へ誘導すること。
奪取される側から見れば「ヒトのフンドシで相撲とりやがって!」と思う部分がありそうだが(特にピンクライン)、それはユーザーの責任だし、なによりコンテンツ商売するならまず客をコンテンツ漬けにしなければならない。元気の出るオクスリも初回はタダだし(と聞き及んでおります)。
これは二つの需要にウマく応えている。一つは「ネットでコンテンツを入手したい」。もう一つは「ライブラリの管理」。より重要なのは後者。ビル・ゲイツさん風に言うと " information at your fingertips " だ。
ブルーラインはラジオを作るラジオ局であり、映画館を運営する映画配給社であり、TVを作るTV局であり、ウォークマンを作るツタヤであり、ゲーム機を作るゲーム販売社である。「デジタルなら全部まとめて商売できるぜしかもパソコン事業持ってるしオレら」というのがデジタルハブ構想である。と思う。
しかしこれは未だ未完成であり盤石では無い。最低でも当面の間(そして恐らくは可能な限り永く)、Appleはブルーラインの水揚げを損ねるものを全力で排除するだろう。
例えばSongbirdやDemocracyのようなiTunes代替物。いずれも独自ライブラリを作るファイルブラウザで、iTSに繋がらない。また例えばOpen-DRM。現時点ではAppleにお金の入らない機械にiTunesへの接続を許す理由がない。将来的にiTSの売り上げが伸びればFairPlay使用料を取るカタチ(これがOpen-DRM)も有り得るが、ショバ代という事でiTunesへの接続自体に課金するほうが美味しい。EMIのようなDRM Freeはブルーラインの水揚げを損なわないが、その場合でも、野方図なコピーを抑止するために個人を特定できる情報が不可欠だ。iTSへのアクセスをiTunesに限る理由は無い。取り扱いタイトルが充実してくれば「コンテンツの卸売り業」ができる。
いずれにせよ「Macintosh」はブルーラインのコアたる販売窓口・兼・ホームサーバである事が第一義であり、その伸張とともに、今日的な意味での"パソコン"である必要性は漸減してゆくと思われる。
Appleにとって最も重要なのは「ライブラリ管理の容易さ、見たい/聞きたいものの探し易さ」。その為にはまずユーザーのライブラリの充実が必須。非合法に入手したコンテンツといえども排除しない事。おおっぴらに対応はしないまでも、ユーザーのライブラリが充実してゆけばゆくほど、ライブラリ管理の容易さ、ユーザーサイド・マルチユースのやり易さが効いてくる。
太字の二つは矛盾するが~特に動画対応フォーマットの点で~、そのへんのさじ加減が肝心なのだろう。
ここから先は『ウィンドウと作品』という分類を試用してみます。
「作品こそがカネを生むのぢゃ!」と言う場合、まずソフト・ハードの区別を捨てるべきです。お客様の為にステキな椅子を用意した映画館というのはそれはそれで感心するのですが、ウケたからといって椅子職人の為に映画館を運営するというのは、ナシです。
一部の椅子マニアの聖地となる可能性も無くはありませんけどそれもう映画館ぢゃないし。
『作品』の事を一般に「コンテンツ」と言いますが、音楽や映画やアニメやマンガやゲームを「コンテンツ」呼ばわりする作り手はいません。例えばもし、芝居を「コンテンツ」呼ばわりする大道具さんが居たら、どれほど有能だろうが使えません。ハナシ通じねぇもの。いっちゃんでぇじなトコロが。
で、もしもそういうスタンスが芝居~またはそれを提供する場~に混じっていたら、敏感に嗅ぎ分けてぷいっと横向いちゃうのが上スジの客というものです。彼らもまた作品を「コンテンツ」と呼ぶ事はありません。
コンテンツという言葉はもともとは流体力学というか、配管設計の世界から来たらしいです。石油とかコーラとかそうゆうの。「今回のコンテンツの特性は云々、従ってバルブに求められる要素は云々」みたいなカンジでしょうか。
ベンリな言葉ではあるのですが、もしも石油やコーラをあきなう人がフツーに「コンテンツ」とか言いだしたらよもまつです。
プラント設計の人が「ウチのバルブを売る為にコンテンツ・ビジネスの発展を」とか言いだしたら本業の能力を疑います。
例え流通に過ぎなくても作品提供に関わる場合、技術的なアビリティは重要ですが、メンタリティは邪魔になると言う事です。プログラマでも技術者でもない人がそれに感染しても、メインカメラをやられるだけでトクにはなりません。
なにかと言うとブンカだサクヒンだと愛を振り回すのも考えものではあるのですが、作品は作品。儲けの源に敬意を示さない商いは立ちません。
ここでは「作品と接触する機会」を『ウィンドウ』と言う事にします(てゆうかしてください)。客が「作品と接触する機会」はMacというハードではなく、iTunesという『ウィンドウ』。iPodは携帯音楽プレイヤというハードではなく『携帯ウィンドウ』。
客からみると個々のウィンドウは「作品と接触する機会」ですが、供給側からみれば『収益機会』です。iTunesにはiTSという収益機会がくっついていますし、iPodが売れればそのぶんお金が入ります(ここでもハード・ソフトという脳内ファンタジーが邪魔になります)。
本来、ウィンドウという言葉は、映画界のヒトが流通経路を選ぶ時に使うそうです。映画館、TV放送、DVD、、、、一本の映画を「どのウィンドウ」にどの順番で流すのがいっちゃん儲かるか、みたいな。ワンソース・マルチユースというヤツですね。慣れて来ると手持ちの「ライブラリ」の中からホラーだけまとめてこのウィンドウに流せば売れる!みたいなマルチユース(というか付加価値の付け方)もできるそうです。これ文庫本とかでもありますわな。「夏のナントカ」とか揃いのオビつけて平積みにして、みたいな。別に新刊でなくても映画とのタイアップでなくても、売り方(というか付加価値の付け方)はいろいろあるわけです。ライブラリさえ溜め込んであれば。
最近ではハードディスクに作品を溜め込んで「ライブラリ」を持ってるヒトが多いです。Mac(机/膝上)、iPod/iPhone(通勤通学)、AppleTV(TVの横)、とウィンドウもたくさんあります。消費者も、たくさんの作品をどう取り回すかと言う事を意識せざるを得ません。ここでは仮に「ユーザーサイド・ワンソース・マルチユース」と言います。
これがまたマウスホイールでくるくるとよく動くんだ。
…であります。
iTunesのCDDBとかタグとかマイレートとかスマートプレイリストとかなんとかシャッフルとかカバーフロウとかの機能は「ユーザーサイド・マルチユース」を「カンタン・ベンリ・キモチイイ」にしてくれます。
客にとってはMacもiTunesもiTSもiPodもiPhoneもAppleTVも「ユーザーサイド・マルチユース」のための設備投資に過ぎません。Appleが優れているのは「モノ作りのアビリティ」ではなく「ソリューション・プロバイダとしてのアビリティ」です。おそらく彼らは中韓のケイタイメーカー同様、技術的なイノベーションはほとんどしていません。客を見てるだけです。
実のところ消費行動自体が「消費」ではなく、目的達成のための投資であります。客は自分で自分の目的が曖昧だったり非明示的だったり非合理だったりするだけです。これを満たすものが「直感的」で「良いもの」で「人間らしい」です。
極端なハナシ「優れている」という印象や「コレを買える漏れは勝ち組」という自我さえ満たせればそれで良いケースというのもあります(1970 - 隣の車が小さく見えます)。
商売上は技術もデザインも要素の一つに過ぎません。「ハイテクハイテク日本はやっぱりモノ作り病」が進むとMOT(マネージメント・オブ・テクノロジー)とか横文字で言われなきゃ解らないような視野狭窄を起こします。MOTというのはひらたく言うと「儲からないなら趣味でやれ」です。
Appleは「作品」を生み出しているわけではありません。ただ「ウィンドウ」を固めているだけです。それでiPodの周辺機器メーカーからロイヤリティを得たり、ケータイ通信事業者に通話料のキックバックを求める事ができています。
歴史的には、Appleのやっている事は特に目新しい事ではありません。テレビでも映画でも、ウィンドウを固めた者の取り分が一番デカイものです。一県一波制に基づく地方局の電波利権、映画館の系列化、などなど。ラジオとかゲームとか出版とかでも調べれば出て来るでしょう。おそらくリモート・イグジステンサブル・エンタテインメント[*1]の黎明期にはつきものの動きだと思います。
余談ながら『もやしもん』に、酒造りの一工程を巡る戦争のハナシが載ってたんで、どんな業態でも黎明期には可能な限り「川上から川下まで」を囲い込もうとするものかもしれないです。
[*1]:またはパブリッシャブル・エンタテインメント。距離の制限を超えて再現できる娯楽。どちらも勝手な造語です。「時間の制限を超えて」の方はコピーライト(和名:著作権)っぽくなるのでそのニュアンスを割愛したかった。
ここでは個々の「Apple製ウィンドウ」についてざっとまとめてみます。できればこの図を横に開いて読んで下さい。
ブルーラインが流通回路ナンバーワンになれば、Appleは版元(コンテンツ・ホルダー)に対して優位に立てる。
最低でも ブルーラインが完成するまでの資金源として欠かせないので、シェアを伸ばす事は重要。Mac上でWinがシームレスに動くなら、Winアプリを全て"コンテンツ"として扱える。
世界的に見れば3Gの普及はこれからなので、まずは世界一普及しているGSMでシェアを奪取。IP網を軸にしたiTSを流通経路に使ってケータイ通信事業者のコンテンツ流通進出を先制。武器はワールドワイドのスケールメリットと「既にiTunesに溜め込んだライブラリ」。
ここでは個々の「作品ジャンル」への進出過程を時系列で見てみます。
第一に重要なのは 『ファイル管理システム』。大量のコンテンツの中から、聞きたいものを速攻で探し出せること。この「大量のコンテンツ」についてスティーブ・バルマーさんはかつて「iPodの中身は違法コピーで一杯」と発言しているが、Apple自身はノータッチなところがミソ。音楽で商売するならまずは客を音楽漬けにするのが先だ。
第二優先は 『接触ウィンドウ』。消費者とコンテンツの接触機会。音楽においてそれが「ウォークマン」である事は既にRioなどのmp3プレイヤが証明していた。この二つで圧倒的な優位を確保した上で、自社の 『購買ウィンドウ』に誘導する、というのが基本的なステップであるように思われる。
最後がYahoo!ミュージックへの進出。Yahoo!から見ればユーザーデータをiTSアカウントで全部持ってかれてもiTSの「出店」に集客効果があると言う事。iTSの取り扱いタイトルが充実してくれば、ポータルに対して 作品卸売り業が、版元に対しては 決済代行ができる。扱い品目をデジタルデータに限れば在庫管理の必要が無いが、その気ならAmazonとも楽天とも競合できる。
音楽ほど明瞭ではないものの、2005はDVDリッピングやP2Pでユーザーが映像ライブラリを溜め込む事に馴染んだタイミングと言える。ただしこの時点での主流はMPEG-4ASP+mp3.AVIであり、映像コデック・AVIの取り回しともに弱いAppleとしてはこれを受け入れる事はできなかった。ASPもAVIも多様でありすぎる。
最も重要な 『ファイル管理システム』は既に2001年のiTunesで確立している。iTSで作品を買うというスタイルも既に2003年に確立している( 『購買ウィンドウ』)。しかし第五世代iPodとAppleTVの間にはドッグイヤーで8.75年ものタイムラグがある。2006年はYouTubeがブレイクした年だが、音楽と比べると、ローカルに映像データを溜め込むというのは気楽に出来る事ではない。
音楽同様に、 著作権リスクを外部化 したカタチで客を映像漬けにする方法は明瞭ではないが、映像で商売するならまずは客を映像漬けにするのが先だ。YouTubeを字義通りテレビとして使って、Apple自身の利益はiTSで出せば良い。「画質」より「利便性」が重要な事は、過去の映像メディアの世代交代を見れば明らかだと思う。
ゲームに関しては先行する「ユーザーライブラリ」というものが無く、さらにiPod用ゲームが話題になっている様子もなく、すげぇ突飛に思われるとも思うんだけど、iPod/Apple TV/Macはゲーム・ウィンドウとしても軽視しがたい。
もしもゲームの版元が開発やユーザーサポートの負担を減らしたいと思ったら、ハードウェア構成に幅の少ないMacintoshは、向いている。AppleTVはさらに向いている。ケータイでゲームする事を考えればiPodのクリックホイールは十字キー+Aボタンとして充分だし、iPhoneにモーションセンサーの一つも付いた日にゃあApple TVと組ませてWiiになる。iTSでオンライン販売できれば流通コストも激減するし、FairPlayなら安心だ。ユーザーとしてもいちいち棚から光学ディスクを出してくるよりiTunesライブラリから呼び出す方が楽だろう。
実はAppleが最初にゲームに色気を見せたのは1999年、初代iTunesよりも前の事だ。
同年1月のMACWORLD Expo/SFにて、ジョブスさんは基調講演で自らConnectix Virtual GameStationというPlayStationエミュレータを紹介している。これは翌月のMACWORLDExpo/Tokyoでも紹介され、大きな反響を呼んだ(当時のMacはまだOS9起動で、液晶iMacが出るか出ないかというところ、ハイエンドはG3)。SONYは速攻でConnectix社を訴えたが 敗訴 。後に同事業を買収して市場から「なかったことに」したと記憶している。
ここからジョブスさんは、ゲームコンソールから直にコンテンツを引っ張ってくるのは難しいと学んだものと思われる。北米においてエミュレータは特に非合法でも、またそういうイロのついた存在でもないが、日本のゲーム会社は収益構造上それを受け入れる事はできない。また、容易く勝てる相手でもない(初期には赤字のハードも、タイトルが充実してくる頃にはコストダウンで黒字化する。つまりPS2直前の1999というタイミングはもろにPS1の収穫期。また、初めて後方互換性を備えたPS2の初動をヌッ頃しかねない。SONYとしては全力で対策する必要があった)。
しかしその後、Windows用ゲームが世界的に盛んになり、コンテンツに充分な厚みが出て来た。
もしも2007秋に予定されているLeopard以降のMacOSXでWindowsがシームレスに稼働するならば、iTSにWin用ゲームタイトルが並べる事ができる。
…というのはWWDC 2007では出てこなかったが、 id Softwareの次世代ゲームエンジンが紹介された 。ゲームエンジンとはゲームプログラムのコアみたいなもので、この上にキャラクタなりなんなりを載っけて行けばゲームが作れるよというものだ。専門化が進んだゲーム製作の垂直分裂と考えればいいだろう。実際これを下敷きにしたゲームをマニアさんが作ってしまう事もある。
基本的にゲームでグレーなユーザーライブラリが先行するとは思えないが、音楽も動画もライブラリ管理が当たり前の時代になんでゲームだけ?という時代はいずれ来る。
時期 | 音楽 | 動画 | ゲーム |
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1999/01/04 |
MACWORLD Expo/SFにて、 Connectix Virtual Game Station をジョブス自身が基調講演で紹介。 |
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2001/01/09 | iTunes発表 | ||
2001/10/23 | iPod発表 | ||
2001/11/02 | iTunes 2.0:iPodをサポート | ||
2003/04/28 | iTunes Music Store開始 | ||
2004/10/28 | iPod photo | ||
2005/5/9 | iTunes 4.7.1:動画対応 | ||
2005/10/12 |
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第5世代iPod:動画対応 | |
2006/09/12 | iTunes Music StoreをiTunes Storeに改称。 | ||
映画販売を開始 | iPod用ゲームの販売を開始。 | ||
2007/3月 | Apple TV発売 | ||
2007/6月 | Apple TV、YouTubeに対応 | ||
iPhone発売 |
流通部門が寡占になると、コンテンツの制作者は、制作資金調達、マーケティング等において流通事業者に大きく依存せざるを得ない状況になる。最終的には付加価値の多くを流通事業者が取得する構造となり、価値を創造する人々に成果に応じたリターンが渡らない。
一旦構造が出来上がると既得権益化して崩しにくくなる。コレはジョブスさんの性格や考えとはほぼ無関係。例えば、映像ビジネスを単純化するとこうなる。
日本の場合、既存ウィンドウをもってかれると映像製作者の資金調達が困難になる。ハリウッドの場合は作品の見込み売り上げ(映画館・DVDなど)をベースに資金調達するが、なんだかんだ言っても日本の映像産業の資金源はキー局。視聴率狙いの広告資金が主軸だ。
別にキー局や家電メーカーがへげへげになっても自分は困らないが、雇用やGDPには絡んで来るし、なにより映像製作社がへげへげになるのは困る。要するにソフトパワーどころではない。
で、1)~3)はAppleがどうというより、日本の構造問題なのであった。
瀕死のAppleがここまで来たんだから、日本がもうダメポって事もないと思うんですけども。