Free > Freedom ≠ 自由
MEncoderに深入りしてしまったので、行きがかり上、関係のある英文を読む事がある。
というかスタンスとしては読まざるを得ませんかしくしくというカンジなので、ちょろっと読んでは脳内妄想が。
◆◇◆
GPLの冒頭部に "ソースコードのfreeとは無償(例えば'無料のビール'のFree)ではなくfreedomのことだ"
てなカンジの事が書いてあった。
、、、ソースコードの自由?
あれか。
そのうちソースコードも生存権とか職業選択の自由とか健康で文化的な最低限度の生活を営む権利とか言い出すのか。
愛護団体がソフトに日照権を与えない日本は文明的に遅れているとか言ってゴムボートが発煙筒でにげて~(略)。
由々しきことである。
辞書によるとfreeは、主のいないこと。だから"free beer"
は「所有者のいないビール」「無主のビール」「誰のものでも無いからおれが呑んでも支払いの義務が無いビール」「無料のビール」。、、、というカンジのト
ランスコードだろうか。「誰のものでも無いから」が「おれが呑んでも」に繋がるところが面白い。異文化のかほりがする。日本語なら、誰のものでも無ければ
「みんなのものだから大切に」という縛りがかからんか脳内で。
~domは「~な状態」。freedomは「所有者のいない状態」「無主状態」「誰が主でも無いからそれ自身が主の状態」「自主」、、、「自分の主人は自
分」かな。
「自由」というのは福沢諭吉が訳語をあてた。わざわざ "自由といっても自由放埒のことではない"
。と但し書きをつけているそうな。どうもそれ以前の日本人は「自由」というコトバを「わがまま・勝手気まま・他人の迷惑省みず」というカンジの悪口を、難
しく言いたい時に使っていたフシがある。「縁、世間、セケンテイ」を行動規範にしていた江戸時代の人には随分とネガティブな響きのあるコトバだったと思
う。カブキ者?DQN?みたいな?
だから、諭吉さんが言った
「新時代の人間は自由を行動規範としなければならない。しかし自由といっても,,,」
は、同時代のみなさんの脳内では、ちょっとスゲェデコード誤差が発生してたんジャマイカ。
「新時代の人間は自由放埒を行動規範としなければならない。」
「新時代の人間はカブキ者を行動規範としなければならない。」
「これからはDQNの時代だ!」
※:誤差範囲は搭載デコーダの性能により異なります。
それまでの日本人の行動規範は「縁、世間、世間体」だったのだから、そー理解するのが妥当だ。なにしろ「縁切り」というのは大事であったようだし、刑罰
のメインは「所払い(今住んでるとこから追放)」だったそうだから。
今日でも「
自由には責任が伴う」という注釈が存在するから、やはり日本人の脳内には「自由」を「自由放埒・わがま
ま・勝手気まま・他人の迷惑省みず・無責任」と解釈するデコーダが存在するのだろう。
それが歴史の慣性というものだ。
◆◇◆
コトバはコンテナであって内部には様々な意味ストリームが存在する。
文脈に応じて適切なストリームを選択するのは脳内コンテナパーサの役目だ。
「自由」には、歴史的な「勝手気まま」と、諭吉さんが組み込んだ「Freedom」の二つのストリームが混在する。諭吉さんも、ほんとはどうかなこれは
とおもいつつ、でも「再生互換性」の為にそうしたのかもしれない。
で、あるにしても「自由」はオカシイ。諭吉さんはrightとかcontractとか甚だしくはloveにいたるまで、それまでの日本に無かった概念を
七転八倒して権利とか契約とか恋愛とかの近代用語を生産しまくった超光速トランスコーダなわけだが、だけでなく、若いもんを集めて自家製用語を脳にスリコ
ミまくった大洗脳家なわけだが、なにゆえに"Freedom"を当時の常識ではやたらにネガティブな色彩の濃い「自由」にしたのか。アタマがわるいのか?
疲れてたのか?ガキの頃に「オマエは自由放埒」と酷く折檻されたのか(ありそうだなコレワ)?それとも、わざと?
彼の時代には、突如来襲したエイリアン文化の大波の上を、涙を呑んで上っ滑りに滑って行く為の波乗り板がとにかく大急ぎで必要だったわけだが、その最大
のテキは「縁、世間、世間体」という強力な社会規範だ。そこで有名人であるオレ様が、敢えて「これからはDQNだ!」と取られかねないコトバを放流すれ
ば、テキのパワーを減殺できる。いろんな分野でいろんな人がいろんな波乗り板をたくさん作る。差し引きはプラスだ。常識を180度ぐるんと回せば副作用も
出るだろうが、せめて弟子達にはきっちり注釈を叩き込んでおこうか。
、、、てなカンジの日本人洗脳計画なんぢゃないのかこれわ。まぁ趣味的にはそーゆーあざといおっさんのほうがスキだが。
いずれにせよ、明治初期にこれに近い
行動規範の180度転換が発生し、近代中国の「百家争鳴・百花斉放」と
virtual(限定局面における事実上の等価物)な結果をもたらしたことは確かだ。
◆◇◆
それわそれとして。
それなりに波を乗り切って安全な陸地にたどり着いた現在では「自由」はデコード誤差が無視し難いように思う。
例えば「
民主主義」コレ誤訳なんだそーな。
デモ
クラシーは
制度。各人が各人の主人である事(Freedom)を前提として、たくさんの「ご主人様」同士の利害調整機構として生まれた、ただのツール。
これは誰が訳語をあてたのか知らないが、
主義(イズム)は精神的な価値観だから「民主
主義」
だと「
自分の主人は自分。これ最強」
が増殖するだけでスタビライザーが無い。日本には
リバイアさんがいらっしゃるわけで酢菜。ちょっと可愛いかもリバイアさん。
あれだ。ご主人様がいっぱいいるからメイドさんが商売になるんだ?(ないない)。
社会契約論?ないない。明治政府の正当性なんてだれも議論してないもん。してても敗戦で断絶してるもん。現行憲法の正当性を法学者がなんて言ってるか
知ってる?あいつら「革命があったと考えるべき」とか言ってんだぜ? 根付くかそんな戯言。
変えるにせよ変えないにせよ、いっぺん民主的な手続きで全文再制定しねぇと、
そもそも現行政府の統治権が民主的にクリアにならねぇ。
まぁ何回も民主的な選挙を繰り返してるから手当はつくんだけど、それやらないと、負けたからおしつけられたんだって感情はぐじぐじと残る。消えない。
紙になんて書いてあっても肚の芯は帝政のままなんだと思うよみんな。芯の仕付け糸が抜けてるからぼやけてるけど。ガワが民主
主義だ
からナニゲにそうは見えないけど。「自分の主人は自分。これ最強」で済むのはキモチイイけど。
基礎概念のデコード誤差は画質の悪いIフレームのようなものだ。影響は連鎖的に波及し、幾何級数的に拡大してゆく。
ああそうか「
個人主義」って民主制の前提、つまり各人のFreedomの事を言っているのか。んー
ちっとニュアンス違うよなぁ、、、地味にネガティブだ。だってほら「クールな個人主義」とは言うけど「人情味あふれる個人主義」とか「ハートウォーミング
個人主義感動巨編」とは言わんし、それだと全米が泣きそうに無い。てゆうかそういう色の付いたコトバはいかん。「自分の主人は自分」なら「自由には責任が
伴う」なんて注釈は省略できるし。最終責任者だから
主人なのだし。Freedomってなかなか、
符号
化効率がよさげ。ん~~~~~~自主主義、自決主義、主体思想、、、、ダメだろそっちわ。ん?
序の部分はそう悪く、てゆうかモロにFreedomでねぇのかこれは?ちょっと改変。
自分の運命の主人は自分自身であり、自分の運命を開拓する力も自分自身にある。
故に、国家統治権の淵元は国民にあり、司法・立法・行政の最終監督権も国民の側にある。
イズムとクラシーが二行に入る。
其の先は、なんか違和感バリバリだが、儒教的宗教観・家父長制の社会規範と共産制をなんとか繋いである、ような印象を受けた。
チャレンジャーだな
黄長さん(家族を捨てて脱北して金王朝が倒すために活動してるってのも、この人のFreedomなのか。ご
長寿を)。
こーゆーのを憲法前文の筆頭に入れといてくれんかな。第一章が天皇なのは譲れないだろうから(天皇制の権威は少し弱めてもいいと思うんだけどねぇ。雅子
さんとか離婚、まぁご本人がしたければだけど、できるようにしたほうがよくない?)。
◆◇◆
たくさんの波乗り板をつくるのに「自由」は便利なツールだったが、それなりに波を乗り切って安全な陸地にたどり着いた現在ではデコード誤差が無視し難い
ように思う。波乗り板では外洋に出れない。サカナを取るには舟があったほうが便利なんだが。それが無いからパラダイス鎖国になる。なんちて。福沢諭吉翁の
のーみそを踏み台にしてだな、その先へ。なんちて。
Freedomにはもうちょい適正なコンテナがあったほうがいいと思うんだ。
【材料】
- 自分で考えて、自分で決めろ(アニメ・エウレカセブン:チャールズ=ビームズ)
- ネダルナ・カチトレ・サスレバ与えられん(アニメ・エウレカセブン:アクセル=サーストン)
- 与えられるのは望んでいたものか?タマシイの血の輝きか?
- 芸人は米一粒、麦一粒よう作らん。末路哀れは覚悟の前やで(桂米朝が弟子入りするときの師匠のコトバ)
- 根無し草ニナルナジョミー(マンガ・地球へ…:ソルジャーブルー)
- 自分の人生の文脈で考えろ?てゆうかアニメでこの台詞はしょってあってかなしー。
- 自分の運命の主人は自分自身であり、自分の運命を開拓する力も自分自身にある。(北朝鮮の主体思想:黄長
)
まぁ、微妙なものばかりなので材料はもちっと幅広く集めたほうがいいわけだが。
ミリバールはヘクトパスカルに変わったわけだし、震度はなんとかガルに変わったわけだし、法哲学でやっちゃいけない理由も無いだろう。学問ならね。
◆◇◆
関係ないけど「ごめんなさい」は「御免なさい」だ。
「御免!」「天下御免」「切り捨て御免」。「わたしはこれをやるにあたってしかるべきスジから御免状をもらっています」とゆう意味だったらどうしま
しょ。
事実上「オレの所為ぢゃない。
怨むなら自分かしかるべきスジにしてね」と言ってるようなもんですか。まぁ内心ではお
詫びのキモチ満載なわけだが。
あれだ。イスラム教の人は「神様の思し召しだ」と言って日本人の怒りを買うらしいが、実は内心ではお詫びのキモチ満載だったりして。大差ないよな。コト
バの意味は。
でも「わたしもこんなことしたくないんだけど上が」とか「悪く思わないで下さいね」とか言う人いるよなぁ。あれなんでかなぁ。
じゃ
上が死ねって言ったら死ぬのかなぁ?
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