1.
「著作権」という漢字には人を平伏させる効果があります。
- 「著作者人格権」:
- 公
表権、氏名表示権、同一性保持権など。
- 放棄できないので、必ず「著作者」が持っている。
- カ
ネにならない。
- 「著作財産権」
- 著
作物の財産面に関する権利。コピーライト、公衆送信化可能権、など。
- 契約によって譲渡できるので、「著作権者」
イコール「著作者」とは限らない。
- カネになる。
人を平伏させる効果が
あるのは、A.です。B.はそうでもありません。でも、
フツーの人々に
とってはどちらも「
著作権」ですから、「
著作権者団体」
はわざとこれを混同させるように喋ります。
「
著作者」
の中にも、混ぜこぜに喋る人が居ます。人間の習性を応用した
営業トークです。
これは「
著作財
産権の強化に反対する人々」にとっては厄介です。なにしろ、「
著作権」
というコトバを使った瞬間に、
フツーの人々はA.だと
思って
平伏してしまいますから(
参
考)。
こ
こでは法律上の正確さは脇に置いて、「原
著作者の権利」
と「コピーライ
ト」と言い換えて
みます。
- 「原
著作者の権利」:カネにならない。
- 「コピーライト」
:カネになる。
ミもフタもありませんが、実
は著作権をめぐるあらそいというのは、
タダの価格交渉です。著作権というとすぐに文化だ芸術
だと言う感じで平伏してしまいますが、ほんとうは
関係ありません。そういうものの価値はです
ね。キミのココロの中にあるのさっ。
ここから先は余談です。
2.
日本の著作権法は欧米のコピーライト概念を明治時代にそのまま翻訳したものが元になっている。
「著作権」というコトバが厄介で解りにくいのは、日
本の
歴史と断絶しているからです。歴史というのはたくさんの人の経
験値のつみかさねの事です。「自由」「権利」「義務」「契約」などの概念をテメーらの経験でイチから造り上げた欧米の連中と比べると、日本ではこれらのコ
トバは「接ぎ木」です。
C
とか読めないのにMEncoderやx264にハマってしまったので、いきがかり上、GPLやオープンソースについて書いた英文を読む事があるのです
が、なにかこう、書いてる人の、コトバのハラゴナレが英文と和文では違うような印象が、します。日本から目立ったオープンソースが出てこないという話を見
かける事もあるのですが、これは、パソコンの浸透具合とかプログラマーの数とか英語とかだけではなくて、自由とか権利とか義務とか契約とかいうコトバのハ
ラゴナ
レも関係あるのじゃないかって気もします。
国内で原著作者自身が、「原著作者の権利」と「コピーライト」の違
いを混同していながら、
著作「権」者団体の代表として「著作権」を守ろう!と語っていたりするのは、実はその人だけの責任ではなくて、社会全体が「接ぎ木」を肚に落とせてないせ
いもデカイのじゃないかとも思うのです。曖昧な口約束で権利をやりとりしてしまうのが悪いと切るのはカンタンですが、それではほんとうの仕事(創作)が進
まない現実もあるわけですし。
日本の原形質には、欧米流の「自由」「権利」「義務」「契約」などの概念とは折り合いのよくない部分
があるんじゃないでしょうか。江戸時代には、浮世絵や草双紙などの印刷権である「座」という概念があったようなのですが。
このままアメリカ流の分厚い契約書と訴訟社会に進むほうがラクではあるのですが、オモムキがありません。趣味的に。ちょいと根性見せて経験値を積み上げる
ほう
が、たぶん、味が出てくると思います。マニアックな歴史
のヨミモノとして。そーささやくのよ。あたしのゴーストが。
明治維新以来、西洋文明の大波の上を、涙を呑んで
上っ滑りに滑って来たこの国の大枠には、世間に根付いては居ないがカタチとしては存在する法律やしくみがまだたくさん残っています。使われていない電気回
路みたようなものです。
情報革命は、そうしたカラッポの法律やしくみに、テメエ等の経験で電流を通す貴重なチャンスです。これを逃
したら、次の機会にはオレ等は「アメリカ人のエイリアス」
みたようなものになってるかもしれません。趣味的に面白くありません。
たとえばこんなのはどうでしょうか。
3.
拝啓天皇陛下様
このブログは「臣民の
ライセンス」にて公開致します。- こ
のブログの「原
著作者の権利」は自分が留保します。
- こ
のブログの「コ
ピーライト」は天皇陛下に献上します。
- 畏
れながら陛下におかれましては広く臣民にコピーライトをご下賜くださりますようお願い申し上げます。臣民各位におかれましては皇室への尊崇と八紘一宇(人
類みな兄弟)の精神でお取り扱い下さい。控えい控えいっ。この紋所をなんと心得る。
クリエイティブ御紋っす。
(大丈夫かいろんな意味で)
少なくとも
クリエイティブ・コモンズよ
りは、ハラゴナレは良いと思う。コモンズなんて日本の歴史にねぇもん。ゼネラル・コモンズとかコモン・センスってちょー根っこの権威だもん。
あいつらの歴史的に。やつらはコモンズという単語を目にした瞬間に、
深く読まなくても脳内データベースで意味を補完して、行
動に反映できるのだ。歴史の授業な
んか覚えてなくても「常識」とか「世間の空気」の中にご先祖様の痕跡が残っているから、補完材料はどこにでもある。だって六法全書が「十七条憲法」とか
「墾田永年私財の法」とか「生類哀れみの令」の精製物でできてるようなもんなんだぜ?。おいらの脳内データベースにはそんなもん、ゼロだ。
天皇陛下の前では全員平等。八紘一宇(人類みな兄弟)。こっちのほうが
効
率が良い。「みんな平等」
だけだと、ギスギスしたしちめんど
うな論争だらけになる。曖昧でどこにでもくっつく権威は、そういうものに対する
抑止力になる。
別に献上する相手は水戸の御老公でもイワシのアタマでもポロロッカ星人でもエルバフの高き心でもなんでもいいんだけど、
潰し
の効くもんが良い。法的には無意味なもんが良い。カタチや象徴性があれば尚可。
出る杭は打たれるとか、水飴にまとわりつかれるような見えない気持ち悪さが厭っていう人は、
クリエイティブ・コモンズなりGPLなりを使えばいいと思いますです。
自立した市民精神に反するとか、そういう人はちょっとマテ。♪オっレっのハナシを聞け。大切なのは何を使うかぢゃなくてどう使うかです。たかだか100年
やそこらでそんなもんが根付くと思ってるなら、ちょいと歴史をナメテるぜ。いきなり入会地(いりあいち)とか結(ゆい)
とか前近代まで飛ばれてもおいらの脳内検索結果は0件だ。もっとあるでしょご先祖様が死ぬ程脳みそ絞り倒して考案した近代化マッスィィィンが。人間はアタ
マだけで生きてるわけぢゃ無い。根無し草
になるな
ジョミー!
国外では御稜威が一
切通用しないってのが問題ですけどね。ぢゃ世界征服。カッコイイから。
、、、いや本気にしないよーに。
参考
- 著作権保護期間延長はクリエイターのためになるか (2/3)(小寺信良
氏:2006年11月27日)
- 著
作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名(青空文庫:2007年1月1日)
- クリエイティブ・コモンズ(フリー百科事典『ウィキペディア
(Wikipedia))
- 地球へ…:竹宮恵子の名作SFがテレビアニメ化(ま
んたんウェブ 2007年01月10日)
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「クリエイティヴ御紋っす」。とてもよいアイデアだと思います。
確かに、フリーソフトやフリーコンテンツの活動において、なんだかやたらとアメリカンな雰囲気が強くて、そのあたりに抵抗感を感じている人もいると思っていました。そこで出てきた伝統の宝刀。困ったときの天皇陛下。意表をつきながらすばらしい着眼点だと思います。
日本人は、なんだかいろいろ困ったときにとりあえず天皇陛下を担ぎ出してくるというやり方をずっと繰り返してきたのだから、おっしゃるとおりストールマンやレッシグを担ぎ出すよりも日本国民の保守的な方々にはスンナリ理解してもらえそうです。
「知的御料地」とか「お召しネット」「皇室御用達スレ」とかいろいろと妄想も展開していきます。