目次めくる。
一、図書館は資料収集の自由を有する。
ニ、図書館は資料提供の自由を有する。
三、図書館は利用者の秘密を守る。
四、図書館はすべての不当な検閲に反対する。
図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまで自由を守る。
前略
お父さん、お母さん、お元気ですか。
私は元気です。
東京は空気が悪いと聞いていましたが、武蔵野辺りだと少しはマシみたい。
寮生活にも慣れました。
念願の図書館に採用されて、私は今ーーーー
毎日軍事訓練に励んでいます。
「正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない。お前が使ってるのはどっちだ?」
「そもそも読書というものは思想の一部であり、図書館は利用者の思想を守る義務があります。そして個人の思想が犯罪 の証拠として取り扱われるべきではありません」
潔 癖さばかりが先に立つ中学生のような理屈でぐじぐじ言い返した。堂上が突っかからせてくれていることには気付いていたが、言い返す言葉は止められなかっ た。「だって」と「でも」が話の接ぎ穂にやたらと多く、だってとでもだけ一人前かと手塚にあげつらわれたことを思い出した。
確かに子供はだってとでもが多いのだ。
然して世論は事件への怒りが先行し、何故図書館は操作に協力しないのかと言う意見が圧倒的だから話がややこしい。警察のわずかな圧力で利用者情報を提供す ると言う事はその分図書館の守秘機能が脆弱ということになるわけだが、それを善良な市民が自分の身に置き換えるにはある種の発想の転換が必要である。冤罪 でない事がほぼ確定している事件で冤罪の場合を想像するのは難しいし、一度の特例が前例として多用される可能性を想像するのも難しい。
どの局も事件については少年の自供で持ちきりで、図書館の非協力を批判する論調はすっかり影を潜めている
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でもすっきりしない。
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誰も何も撤回していないのに図書館が責められたことがなかったことになっている。そのことがものすごく納得いかなかった。
しかしそれも自分が当事者だったから思うことで、世間で起こる同じようなことについて郁もいちいち注目して憤っているわけではない。自分がイタかったか らむきになっているだけのような気もする。
結局自分が体験しないとこうした痛さを実感できなかったという意味では郁も充分に勝手で、それを思うとまたへこむ。
子供の読書に意義を求めたがる大人にはウケが悪い。子供には読むべき意味、読むべき価値がある本を読ませるべきで、 子供は読書から何かを学ぶべきだ。『考える会』の主張は要約すればそうなる。
どうして大人はただ本を面白がるということを許してくれないのか。自分たちはただ面白がるためだけに本を読むくせに。
「うん、それはすごい正論ね。でも正論って面倒くさいのよ」
「義理も縁もない他人に何かを頼むとき、『協力してくれるべき』とか『してくれるだろう』とか甘い見通し持ってる奴は絶対失敗するわ。協力って期待するも のでも要求するものでもなくて、巧く引き出すものなのよ」
「図書館は学校の延長機関ではなく、また家庭の躾の代行機関でもありません。もちろん、教育の一助となることを否定するものではありませんが、開放された 多用な図書の中から子供たちが自由に本を洗濯できる環境を提供することが自立への支援になると考えています。そしてなにより、娯楽作品との距離の取り方は 保護者が指導するべきものです。その責任を学校や図書館に求めることは、保護者としての責任を放棄していることになるのではありませんか?」
終止決して荒らげることのなかった稲嶺の声そのものが説得力となった。
「考える会」並びに保護者の皆さんには、保護者の責任を十全に果たすことを何より優先して考えて頂きたい。そのための手助けが欲しいということであれ ば、図書館は豊富な資料の提供や児童館の読書ノウハウの公開など、あらゆる協力を惜しみません。